新居浜太鼓祭り一宮の杜ミュージアム

鎮坐地愛媛県新居浜市一宮町御祭神大山積神(オオヤマズミノカミ)  雷神(イカヅチノカミ)  高おかみ神(タカオカミノカミ)  合祀相殿  健御名方神(タケミナカタノカミ)

 

由  緒

大山積神は往古よりの御鎮坐にて雷神 高おかみ神は和銅二年八月伊予国大三島より奉遷したもので爾来本社を郡一ノ宮と崇め奉った。

社伝に依ると本社は嵯峨天皇の勅願所にして天皇の御崇敬篤く神号正一位一宮大明神の勅額を賜わりしばしば勅使を差し遣わされたと云う。

旧西条藩主松平公祈願所六社の一で初代領主頼純公最も崇敬厚く寛文10年11月社領高二石を献ぜられ、又元禄7年数度に亘り家臣を遣し神供料を献ぜしめ其後毎年9月18日を定例として直参又は代参を立てられた。

又長州毛利公は天正の乱後特に崇敬厚く年々代参を立て元和5年長州に本社を勧請分祀した。社殿は推古天皇の御宇に伊予皇子の裔越智宿禰益射躬が造営し、建武年中河野九郎左衛門尉、観応年中河野対馬入道、明徳年中金子氏等の造営あり、元和6年には長州の毛利長門守と松山藩主加藤左馬頭とが協同して社殿を建立、更に宝永元年11月西条藩主松平頼純公より良材を寄進され翌年8月現在の本殿を造営成就した。

 

御 神 徳

大山積神は伊弉諾、伊弉冊神の御子で皇孫爾々岐尊の后神 木花咲耶姫の御父神にて山を宰る神にましまして山林を仕立て殖産興業の基を御開き遊ばされ又農業航海漁業を守護せられ給う神である。

又雷大神は火の御徳あり雷除の守護神であり高おかみ神は竜神にて雨を降らせ雨水を宰る神で水の御徳あり土地の温度と湿気と云うものがなくては育つことの出来ない草木穀物野菜などの豊かに出来るよう守護せられ給う神である。この三柱の神は吾々人間に一番大切な衣食住を宰る御神徳いと高き神であります。

 

社殿工作物

本殿、弊殿、拝殿、神輿庫、神門、絵馬殿、社務所、斎館、手洗舎、本殿は宝永2年の建築にかかり12坪の桧皮葺の神明流造である。特に拝殿の彫刻は精巧を極めている。
参道及境内外を囲む石造玉垣約350間がある。其他新らしい工作物として二基の鳥居がある。大鳥居は昭和二29年8月の竣工。構造は鉄筋コンクリート造りで様式は明神鳥居 高さ10.25メートルである。

 

境内及び氏子

新居浜市の中央に位する唯一の緑樹地帯天然記念物樟樹群に囲まれ旧新居浜町及金子村金子一円の総鎮守にして当社の社地往古は東西南北共に頗る広く四方に門ありて築地堀などありしが何れの時代より漸次狭くなりて現在は神域約5300余坪あり氏子は現在約七千戸である。

 

境内社

伊与八幡神社

祭神、応神天皇 神功皇后 玉依姫命 合祀相殿 伊弉冊尊外八柱
伊与八幡神社は延久年中鎮守府将軍兼伊予守源朝臣頼義が四国に48社の八幡を建立したる其内の一つなり、天正乱後毛利長門守元就特に当社を崇敬し慶長年間采邑萩に分霊を勧請して社号を伊予八幡宮と称し又東京高輪邸内にも奉斎し代々信仰せらる。又八幡神社は安産の神として特に婦人の信仰厚し。

新居神社

祭神 事代主命、合祀相殿少童命外四柱
新居神社は伊予国14郡内33社の一にし往古より代々の国司崇敬篤く明治43年7月16日許可の上旧新居浜町内海神社、春宮神社及恵美須神社の境内末社天満宮、風神社を恵美須神社に合併合祀して新居神社と改称し奉斎していたが昭和32年8月19日一宮神社に合併境内神社として奉斎す。

 

主なる祭事

月次祭 毎月10日 元旦祭 1月1日
年賀厄除祭  2月1日 春季大祭 5月3日(大祭)
献茶祭 5月上旬 夏越祭 7月30日
秋季大祭 10月17日(大祭) 仝神幸祭 10月18日(大祭)
七五三祭 11月15日 鎮火祭 12月1日
新穀感謝祭 12月23日(大祭) 大祓除夜祭 12月31日

 

特殊神事10月18日海上渡御(隔年)

新居浜浦手海岸より本社及八幡神社、祇園神社の神輿御乗船神楽を奏しっつ海上渡御続いて金色燦然たる12台の奉納太鼓台各乗船供奉する其勇壮にして華麗なること実に天下の壮観である。

 

「西条誌」によれば「此浦の氏神は金子村の一宮明神なり9月19日祭礼の時隔年に舟みゆきありこれは神輿を始め鉾、槍、烏毛槍、職に至る迄一切供奉の器伏及び台尻神輿太鼓と云うものなどを大江橋の辺より舟に載せ浜手を漕ぎ廻す陸より望みて甚だ見事なり台尻みこし太鼓、金子村と合せて17あり」と伝えられている。

 

境内史蹟

勅使桜 社殿右側にあり、嵯峨天皇の御宇勅使官幣を捧げ給いし跡(勅使台)を無窮に伝えん為古人の植えしものなりと云う。
千早振る神も桜もありしそのむかしの春や恋しかるらん  花園公 燕
瑞離に花のしらゆふ掛巻くもかしこき神の手向とやせん  柴木 持豊                  ′
咲程は神もたむけと瑞離にいく春かけてよ花の白ゆふ  慈光寺尚伸

句碑、川柳碑
「かがやきて神ながらなる樟若葉 風生」 ホトトギス派の巨匠富安風生翁の作  昭和28年5月建立
「百千鳥江湖に名ある樟の宮 黙禅」 愛媛ホトトギス会顧問酒井黙禅大人の作 昭和35年8月建立
「南無三宝小女郎憑きたる桜鯛  狸通」 日本一の狸通 富田狸通氏作
「遠会釈人美しく誰だろう  伍健」 川柳の大家前田伍健氏作 昭和35年3月建立

宝物

一、勅額 一、縁起書 一、和歌三軸 一、刀劒一振 一、棟札、特に刀劒の内一振は重要美術品で三条小鍛冶宗近の作と称されている。

 

天然記念物

一宮神社樟樹群(昭和26年6月9日国指定)
120間余り参道の入口から社殿の後方に至るまで樟の老大木の亭々としてそそゆるは他の美例少き当社叢の一大特色である。樟樹群のいわれについては「二名洲御州行略記」によれば「当社の神垣は推古の帝国司散位小子宿禰玉興が勅わ奉じて植えたもの」と伝えられているが、はっきり伝記したものがないので植樹年数等は明らかでない。大きい樟は千年以上たっていることはまちがいがなかろう。古老の口伝として伝えられているところによると馬場先の樟は天正13年7月に起った「天正の乱」の兵火のため焼けただれわずかに焼け残った株から芽を出したものが現在のような大木となったといわれている。
現在境内にある樟の総数はおよそ百本。目通り1メートル以上のものは約40本ある。一番樟と呼ばれている一番大きい樟は目通り9.40メートル根廻り14.90メートル高さ29メートルあり一千年の歴史の面影をしのばせている。

  

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伝説葛淵

石鎚山の神が近くの笹ケ峰へお登りになり山の八合目の処へお住いになられ「日月」の池を造り登山者の便にと工夫された。池の水が澄みきって甘いのでこんな好い水を里人にも味わせたいとそばの小石を拾い「この石の落ちた所へ日月の池と同じ水が出るように」と投げられた。
すると新居浜浦の浜辺近くに落ちてそこが「つづら淵」と呼ばれた。或年大旱が続いて村人が相談の結果葛淵の水をひょうたん一ぱい汲み、日月の池へ「竜王さまのおみやげです」と祈りながらその水を移した。下山の時は日月の水をひょうたんに詰め葛淵へ行き「山の神さまのおみやげです」と又祈った。暫くすると俄に雷雨を伴う大降りとなり夜中降り続いて作物も草木も甦った。それから葛淵の霊泉の水が一宮神社の神水(若水)として毎年正月七日寅の刻に汲み取られ神前に供えられて開霊符の御祭が行われている。

 

伝説小女郎狸

小女郎狸は北条の喜左工門狸、屋島の禿狸と共に三兄弟として伊予狸族の名門で昔から一番樟に棲んでいた脊族といわれている。この小女郎狸が或日初穂の鯛を盗み食いしたことから神主に一宮の森を追い出され慈眼寺の和尚に化けて新居浜浦より船に便乗して大阪に行く途中又鯛を盗み食いして化の皮が現れ船頭に命をとられんとしたが許しをこい大阪着後金の茶釜に化けて恩返しをしたという話は有名。今も一番樟の祠に祀られ商売繁盛、病気平癒開運の御利益あるとして人々の信仰の的となっている。

 

 

所 在 地

住 所 愛媛県新居浜市一宮町1丁目3番1号
TEL 0897-32-2054
ホームページ http://www.ikkujinja.or.jp/

 







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